2005年8月、オセアニアに残る唯一の王国トンガで、公務員全般の給与が削減されるなか、貴族出身国家公務員の給与のみが大幅引き上げとなり、これに反対する一般の公務員や労働者のストライキに学生が加わり、大きな社会的騒乱が発生した。国王タウファハウ・ツポウ4世は一時、ニュージーランドに避難した。また、06年2月には国王の三男のアタ王子が多額の浪費を批判されて首相を辞任した。これにより、一般国民出身の平民代表議員で民主化推進派のセペレ労相が、首相代行を経て3月に首相に就任した。しかし、同年11月の民主化をめぐる民主派と政府の交渉最中に若者を中心とした暴動が発生し、7人の死者と800人の逮捕者がでた。政府はオーストラリアとニュージーランドに軍と警察の派遣を要請。同年末に、治安維持部隊は撤退したが、10年11月の総選挙までに、国王指名枠を廃止し貴族議員の定数を減らすことを含めて様々な政治改革が行われることになった。しかし、総選挙では、国王指名枠9議席が残された。平民枠17議席中12議席を民主党が獲得し、民主化への弾みがついたとはいえ、総選挙後の議会での首相指名では、貴族出身のトゥイバカオ卿が、平民派のアキシリ・ホヒバ候補を抑えて選出された。このように民主化への動きは進展しており、07年4月に戒厳令の一部は解除されたが、12年現在でも首都では継続している。なお、08年8月に国王に就任したジョージ・ツポウ5世は、12年3月に死去し、トゥポウトア・ラバカ皇太子がアホエイツ・ツポウ6世として即位している。王族・貴族支配は依然として続いている。