1954年3月1日、マーシャル諸島のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験「ブラボー」は、1946年から58年に行われた67回の実験中最大規模で、広島に投下された原爆の1000倍の爆発力があった。その水爆の死の灰を被ったのが、日本の第五福竜丸の船員23人と、ビキニ環礁内ロンゲラップ島の島民約80人だった。その後体調不良や異常出産に悩んだ島民は一度避難した後、57年にアメリカの安全回復宣言を信じて帰島したが、さらに被害を受けた。85年に再び離島した後は帰島する者がない状態である。ビキニ環礁は安全になったとの調査報告もあり、近年では、同環礁のサンゴや魚、また実験の標的となり沈没した戦艦長門などの残骸を観賞するダイビング観光振興策も動きだしたが、ロンゲラップ島の経済復興と発展はまだ先の話である。マーシャル諸島には今でもアメリカのミサイル実験場があるが、島を核廃棄物場にという声もある。2010年7月、第34回世界遺産委員会において、ユネスコの世界文化遺産にビキニ環礁の登録が決定された。マーシャル諸島共和国初の世界遺産となるが、東日本大震災にともなう福島原発事故により、日本では同環礁の被曝事件が再び注目を集めている。マーシャル諸島でも賠償金によって生活は保障されたかのように見えるが、いまだに帰還できない人々がいるだけでなく、島に住む住民の自殺率は高い。環境の激変で生きる意味を見失ったことや、放射能への不安や健康被害などが理由と思われる。マーシャル諸島の教訓に学べとの声も高まっている。