パプアニューギニアは、戦後オーストラリアの国連信託統治領となっていたが、1975年に独立した。メラネシア地域特有の多言語・多部族・多文化状況にあり、国民国家としての統一が困難な地域として知られている。今日でも政府の統治能力と国家統一に対する不安がある。かつて信託統治国だったオーストラリアは、パプアニューギニア政情安定化のため、2003年8月に同国政府内にオーストラリア人を各省高官・職員と、治安維持のため警察官を送り込むという、内政干渉まがいの外交政策を実施した。それは、同国最高裁判所により憲法違反とされ、引き揚げを余儀なくされた。その後、政情は安定化していたが、09年5月、パプアニューギニアの北部マダン州にある中国系企業が経営する鉱山で、低賃金で劣悪な労働条件に不満をもつ労働者が暴動を起こし、全国に広がった。中国系商店も略奪対象となった。中国は海外資源確保のためパプアニューギニアにも投資を拡大し、07年にニッケル鉱山を開発している。11年4月から12年7月の総選挙まで、ソマレ首相がシンガポールにて病気療養中に政情不安が生じたが、12年の総選挙(定数111)ではオニール氏率いる人民国民会議が最多の27議席を獲得し、ソマレ前首相も新政権と和解し、連立政権が樹立され政情は安定した。14年頃から、LNG(液化天然ガス)の産出も見込まれており、これが今後の経済成長をけん引することが予想される。日本は、パプアニューギニアから天然ガスの供給を受ける予定なので、同国の政情安定は必須であり、経済支援などの拡大が望まれる。