オーストラリアで、イギリスからの児童移民が虐待などを受けていた問題。19世紀後半から20世紀後半までイギリスでは、小学生程度の孤児を旧植民地諸国に移住させる児童移民制度があった。第二次世界大戦後、戦争孤児やシングルマザーの子どもなど、各地に送られた児童移民の多くは低賃金労働者として利用され、かつ暴力的・性的虐待を受けていた。そうした事実について公表したイギリスの社会福祉士マーガレット・ハンフリーズの著書「からのゆりかご」(1989年)が、オーストラリアへの児童移民を扱っていたため、同国でも大きなスキャンダルとなった。オーストラリアへの児童移民は、オーストラリア連邦政府とイギリス政府の協力の下に実施され、児童福祉団体や教会組織が支援していた。2009年にはオーストラリアのラッド首相が、10年にはイギリスのブラウン首相が、国民を代表して児童移民たちに謝罪した。その後、児童移民問題に触発されたオーストラリア国内では、強制里子政策についても被害経験者から批判の声があがり、10~12年にかけて、全州の首相が謝罪することになった。強制里子政策では、先住民族の子供だけではなく、人種に関係なく多くのシングルマザーの子どもが強制的に隔離され、養子にされたり、孤児院に送られ、低賃金労働や虐待の被害にあった。