フランス系カナダ人はケベック州のみならず、カナダ全土に住んでおり、イギリス系カナダ人との共存が歴史的に大きな課題となってきた。フランス系カナダ人の比率が州人口の約3分の1を占める東沿岸部のニューブランズウィックでは、彼らはアカディア人という独自のアイデンティティを持ち、イギリス系カナダ人との共存に努めてきた。またオンタリオ州やマニトバ州でもフランス系カナダ人の存在は重要である。フランス系の比率が最も多いのはケベック州で、1970年代以降、分離主義的な色彩の強い政党(ケベック党 Parti Qubcois 仏)が政権の座についてきた。80年と95年には分離・独立を問う州民投票(レファレンダム)がケベック党州政府によって実施されたが、過半数に達せず否決された。60年代以降、この州では連邦制を擁護する州自由党と分離主義のケベック党が政権交代を繰り返してきた。他方、90年代初頭からは連邦議会における分離主義政党としてケベック連合が登場し、連邦首都オタワでもケベック分離主義の勢力が一定の影響力をもつようになってきた。連邦政府は69年、連邦公用語法を制定(88年改正)して連邦政府の行政機関でも英語とフランス語が対等に使われるように努めてきた。さらに1982年憲法には、二つの言語集団の権利を強化する規定(特に第23条)が新しく盛り込まれた。他方、ケベック州政府はフランス語憲章(77年)に見られるようにフランス語の地位を向上させる努力を積み重ねている。06年11月、ハーパー政権は、「ケベックは統一されたカナダのなかのネーション」(この「ネーション」は民族集団ぐらいの意味になろうか)という決議を野党の賛成も得て下院で可決した。ケベックの人々がユニークな特質を持つことを認めるが、独立国家としては認めない、という意味を持つとされる。単なる政治的なスローガンなのか、あるいはどの程度の意義や拘束力を持つのか、今後の議論が必要であろう。