カナダ連邦議会においては、長い間、ひとつの政党が過半数を占め、安定した政治が運営されてきた。1993年の総選挙ではJ.クレティエンの自由党が圧倒的な勝利を収め、295議席のうち178議席を獲得。残りの議席を4つの政党が分け合う形となり、ライバルの保守党は169議席から2議席にまで転落した。クレティエン政権(93~2003年)はこの強大な政治力を背景に、痛みを伴う財政改革や行政改革を大胆に実行していった。これにより、国民の立場からすれば、安定政権であるがゆえに、逆に国民の要求がなかなか聞き入れられない、というジレンマにも陥ることになった。04年6月の総選挙では、自由党の党首がクレティエンからポール・マーティンに交代し、有権者の信頼を得て自由党政権を維持しようとした。しかし自由党は過半数を占めることができず、クレティエンを継いだマーティン政権(03~06年)は、不安定な議会運営を強いられることになった。この結果、自由党政権は、野党の意見を尊重し、また国民の批判にも耳を傾けるスタイルへと変化した。また、個々の議員の動きがカナダ政治の動向を大きく左右するようになった。たとえば05年5月、マーティン首相は、政府の予算案を通過させるため、野党保守党の花形女性議員を突然、自由党へとスカウトし、閣僚に任命するという離れ業を披露した。たった1人が自由党へ移ることで、ぎりぎりのところで政府予算を成立させることができたのであった。06年2月には保守党のハーパー政権が誕生したが、やはり過半数に満たない不安定政権となった。こうして不安定な政権が続き、カナダ政治には興味深い状況が生まれてくる。与党賛成、野党反対、というように党派間で賛否を確定しにくい争点が出てきたため、政党として議員を拘束せずに、個々の議員の判断で採決が行われることも多くなってきた。たとえば、同性結婚を制度として認めるという法案が05年6月に下院で可決し、カナダは世界で4番目に同性結婚を認めた国となったが、提案した自由党の議員の一部が反対し、閣僚も抗議して辞任した。政権政党主体の政策論議から、政党間の協議や取り引きも含めた交渉、そして議員の動きが全体のバランスを左右させるという、「政局」中心の政治へと変化してきている。