中国からカナダへの移民は歴史的に見ると二つの要因により動いてきた。最初の要因は19世紀中ごろに始まったゴールドラッシュであり、西海岸のビクトリアやバンクーバーにおいて小さな中国人コミュニティーが形成されることになった。第2の要因は大陸横断鉄道の建設に必要となる労働力の一部として、カナダ政府が中国人労働者を受け入れたことであり、時期としては1880年代から始まる。地元の白人社会は中国人労働者の受け入れには反対したが、連邦政府は安い労働力を確保できるとしてこれを推進した。しかし、大陸横断鉄道が完成した85年以降、連邦政府は中国からの移民について、一人当たり50ドルという「人頭税」を課すなど、厳しい条件を課すようになった。これらの制約を課した中国人移民法は1947年に廃止された。中国系移民たちは、チャイナタウンを形成し、小売業やレストランなどで生計を立て、独自のコミュニティーを育んできた。現在、バンクーバーやトロントでは規模の大きなチャイナタウンが見られるようになっている。ただし、最近では都心部のチャイナタウンよりは、都市の郊外に大きな中国人コミュニティーが生まれつつある。バンクーバー郊外にあるリッチモンドなどはその代表例である。政治的には日系人と対比しても活発な活動を展開する傾向にある。ビクトリア市長など地方自治体や州政府レベル、そして下院議員など連邦レベルなどにおいて政治家としての中国系カナダ人の活躍が見られる。