ロシアのチェチェン共和国では、親ロシアのラムザン・カディロフが権力基盤を固め、同共和国をまるで己の版図であるかのようにみなす独裁体制を敷いている。2004年にアフマト・カディロフ大統領が爆殺されたとき、故人の次男ラムザンはまだ27歳で大統領に立候補する被選挙権年齢に達していなかった。そのためアル・アルハノフ内相(当時)が、同年8月の大統領選で当選した。だがプーチン政権は、以後ラムザン・カディロフを事実上の共和国トップとみなしてきた。06年3月、セルゲイ・アブラモフは首相を辞任、カディロフ第1副首相(当時29歳)が首相に就任した。カディロフが同年10月5日の誕生日に30歳となると、年齢条件を満たし、大統領に就任した。父親以上に残虐な独裁者として知られるカディロフが名実ともにチェチェン共和国のトップになり、モスクワの支持を背景に「チェチェン統治のチェチェン化」との大義名分のもとに、実際は同共和国の「カディロフ王国化」を推し進めつつある。他方、独立派武装勢力側はアスラン・マスハドフ元チェチェン共和国大統領が05年3月、シャミル・バサエフ野戦軍司令官が06年7月に殺害され、打撃をこうむった。ロシアのタンデム(双頭)政権は、09年4月、約10年間続いたチェチェン共和国での対テロ作戦の終了を宣言した。