1986年4月26日、ウクライナのチェルノブイリ原発の4号機(黒鉛減速チャネル炉)の核反応が暴走して大爆発し、大量の放射能を放出した。ゴルバチョフ政権が当初事故を隠そうとしたために、周辺住民の避難活動が遅れ、被害が大きくなった。同事故によるがんの死亡者の数は推計団体によって異なり、国際原子力機関(IAEA)の4000人、世界保健機関(WHO)の9000人と大きな開きがある。環境NGO「グリーンピース」による20万人という数字もある。検討する対象をどこまで広げるかによって数字が変わってくるのである。事故後にコンクリート・シェルターで覆われた4号機の建物は「石棺」と呼ばれている。20年を経て石棺は老朽化し補修が必要となっているが、ウクライナだけではそれを負担する力を欠いている。