プーチン主導の過去10年間(2000~10年)において、ロシアは原油価格の国際的高騰によって経済的に大いに潤う一方で、いわゆる「オランダ病」症候群を発生させた。経済改革を怠け、ロシア国内のインフラストラクチャー(社会や産業の基盤構造)の整備を等閑視した。たとえば、空港、一般および高速道路、電力設備、住宅などが耐用年数を越えて老朽化したり、モータリゼーションや旅行の時代を迎えて拡充を必要としたりしているにもかかわらず、その保全、更新、新設のために十分な予算、労働力、エネルギーを注がなかった。そのツケを払わせるかのような事件となったのが、サヤノ・シュシェンスカヤ水力発電所事故である。2008年8月17日、ロシア連邦南シベリアのハカシア共和国にあるロシア最大の同発電所内に大量の水が流れ込み、従業員75人が死亡した。死者数だけに限っていえば、1986年のチェルノブイリ原発事故の60人を上回り、現代ロシア史上最大の技術的惨事となった。事故の責任者としてロシア統一エネルギー機構の元社長のアナトリー・チュバイスが俎上(そじょう)に載せられたが、彼は2004年に辞職していたので、エネルギー産業政策に関して彼のライバルであるイーゴリ・セーチン副首相を長とする事故調査委員会がチュバイスをスケープゴートに仕立てたのではないかともささやかれている。