2011年に党首交代をめぐるドタバタ劇によってメディアを騒がせたロシアの政党。「右派事業」、「正義」党とも邦訳される。同党は、もとはロシア下院に議席を持たない弱小政党の一つだったが、11年5月、オルガルヒ(寡占新興財閥)の1人、ミハイル・プロホロフが党首に就任したために、一躍脚光を浴びる存在になった。プロホロフはロシア第3位の大富豪、かつ数々のスキャンダラスな言動によっても知られる独身(当時49歳)のプレイボーイ。ロシア一般庶民の目には、同時に羨望と憎悪の対象となりうる人物だった。そのような人物の党首就任に対して、プーチンとメドベージェフのタンデム政権は、複雑かつ矛盾した態度を示した。同党を来る11年12月の下院選挙に参加させることは、同選挙が複数政党の存在を認めて公明正大に実施されることのPRに役立つ。他方そうしても、同党は決して「7%足切り」条項をクリアしないから、政権与党「統一ロシア」の脅威にはならない。ところが、プロホロフは、同政権とのこの種の黙約に違反し、勝手なひとり歩きを始めた。慌てた政権幹部たちは「正義の事業」の内部抗争を画策し、11年9月プロホロフの党首辞任を実現した。12月4日の下院選挙で「正義の事業」は、結局、全投票数の0.6%しか獲得できず、比例代表制の最低得票率をクリアできず議席取得に失敗した。だが、プロホロフ個人は、12年3月4日の大統領選へ立候補した。