2011年12月4日に行われたロシア国家会議(下院)選。下院の定数は450、任期は5年、比例代表制にもとづき議席が配分され、最低得票率に届かなかった少数政党は議席を獲得できない。同選挙は、3カ月後の大統領選(12年3月4日)の前哨戦とみなされる重要な選挙であったが、プーチン首相が率いる政権与党「統一ロシア」は大幅に議席を減らした。同党は、4年前の07年選挙では憲法改正を可能にする定数の3分の2(300議席)を超える315議席を獲得していた。だが、その圧倒的な力におごりを示し、「ペテン師と泥棒」政党と悪口をたたかれるようになった。さらに、9月24日、同党党大会の席上で、プーチン首相、メドベージェフ大統領間のポスト交換の合意が突如発表され、ロシアの有権者間には政治に対する疎外感が強まった。その理由はともあれ、「統一ロシア」は77も議席を減らし、過半数をわずかに超える238議席になった。替わって残りの3政党は、議席を急増させた。ロシア共産党は57から92、ロシア自由民主党は40から56、「公正ロシア」は38から64へと議席数を増やした。「ヤブロコ」などリベラルもしくは右派の諸政党は最低得票率に届かず、1議席も獲得できなかった。危機感にとらわれたタンデム政権や中央選挙管理委員会などによって、たとえば不在者投票制度を悪用したり、1人の人間が数カ所の投票場をかけもちして駆けめぐり、複数回投票を行った。このような疑惑にもとづき、モスクワ、その他で大規模な抗議集会やデモが繰り広げられた。アメリカのヒラリー・クリントン国務長官も「選挙は自由でも公正でもなかった」との異例のコメントを述べた。タンデム政権は与党「統一ロシア」が過半数の議席を得たことを勝利とみなしたが、今後長期化すると予想されるプーチン支配に対して、ロシア国民が警鐘を鳴らす選挙になった。