「新しいヨーロッパ」とは、イラク戦争に際して、当時のアメリカの国防長官ラムズフェルドが、アメリカを支持するヨーロッパの国(とりわけ中・東欧)を指して言った言葉。そもそもこの言葉は、第一次世界大戦末期に、ハプスブルク帝国を解体してできた「継承新興諸国家」に対して用いられた言葉である。これらEU(欧州連合)、NATO(北大西洋条約機構)に新規に加盟し、きわめて親アメリカ的な心情を持つ「新しいヨーロッパ」に対し、アメリカ(ブッシュ政権)の戦略に国際規範を掲げて対抗するフランス、ドイツを、アメリカは「古いヨーロッパ」と揶揄(やゆ)した。
イラク戦争開戦をめぐり、国連ではイラクに対し、アメリカ側のいう、大量破壊兵器隠蔽(いんぺい)に対する即時開戦か、ヨーロッパのいう、国連による大量破壊兵器査察の継続か、戦略が真っ二つに分かれた。フランス、ドイツを中心としたイラク戦争反対の動きは、アメリカの単独行動主義(ユニラテラリズム)に対するヨーロッパの多国協調主義(マルチラテラリズム)として、国際的広がりを見せ、長期的には、アメリカ・ブッシュ政権の孤立化に貢献することとなった。他方そうした中、中・東欧諸国10カ国の政府(ビルニュス10)の首脳が、2003年2月4日、アメリカのイラク戦争を支持する声明を出した。これはヨーロッパ8カ国(イギリス、スペイン、イタリア、オランダ、ポルトガル、ハンガリー、チェコ、ポーランド)のアメリカ支持に続くものであった。これに対し、フランスのシラク大統領(当時)は、EU加盟を控えた国々がアメリカを支持したことを「稚拙な行為」と強く非難した。この批判が逆に中・東欧のフランスに対する反発を強める結果となった。
「新しいヨーロッパ」のアメリカ支持はイギリスのブレア首相(当時)のおぜん立てともいわれるが、中・東欧諸国が安全保障面では、EUよりもアメリカに頼っていることを浮き彫りにした。またCFSP(共通外交安全保障政策)を掲げていたEUとしては、域内の国々で外交と安全保障が一致しないことを露呈した。中・東欧の新加盟国はEU内の親米勢力として「トロイの木馬」という汚名を着せられることとなったが、対してEU内のフランスの主導権も失墜する結果となった。ただしイラク派兵自体は、中・東欧の国内では自国兵士の殺害も続き、不評である。このこともあり、中・東欧の多くの政府は、次の選挙で敗北することとなる。