2004年5月、中・東欧8カ国(ハンガリー、ポーランド、チェコ、スロバキア、スロベニア、リトアニア、エストニア、ラトビア)と地中海2カ国(キプロス、マルタ)がEU(欧州連合)に加盟して25カ国EUとなり、07年1月には、ルーマニア、ブルガリアも加わり、27カ国、5億人、12兆ドルの拡大ヨーロッパとなった。拡大ヨーロッパにおいては、経済発展、政治改革は順調だが、グローバル化の下、貧富の格差は拡大し、長期失業や低賃金にあえいでいる層もいまだ多い。中・東欧各国は、1989年の体制転換後、94~96年にEU加盟申請を行い、97年12月のルクセンブルク欧州理事会で第1陣6カ国、99年12月のヘルシンキ欧州理事会で第2陣6カ国の加盟交渉を決定、それぞれ98年、2000年から交渉を開始した。これに際し、EU加盟基準であるコペンハーゲン基準(政治、経済基準、およびEU法体系の総体の受容)と、アキ・コミュノテール(Acquis communautaire)と呼ばれるEUの法体系、31項目にわたる基準をクリアすることが加盟条件とされた。
交渉をめぐる過程では、農業、移民、財政の諸問題で調整が難航し、既加盟国は既得権益保持、新加盟国の移民制限や農業補助金の削減を要求し、新加盟国は、移動の自由や公正な補助金の獲得、さらに西欧の保護主義やダブルスタンダードの排除を求めて対立したが、最終的に、既加盟国の要求をのむ形となり、新加盟国の間に不満が残った。その結果、拡大後1カ月の欧州議会選挙で、中・東欧の政権党はいずれも大敗北を喫し、その後の総選挙でも、EU加盟を促進した政党のほとんどが、政権の座から追われた。ハンガリーのみが、接戦の末、社会党が政権に残ったが、保守ナショナリスト派との間で、政治は不安定化した。