1999年3月、コソボ空爆と並行して中欧3カ国(ポーランド、ハンガリー、チェコ)が、次いで2004年3月に中・東欧7カ国(バルト三国、スロバキア、スロベニア、ルーマニア、ブルガリア)、08年4月にクロアチアとアルバニアがNATO(北大西洋条約機構)に加盟した。
すでに冷戦の終焉(しゅうえん)以降から、ソ連/ロシアの脅威に対するアメリカによる安全保障として強くNATO加盟を要請していた中・東欧に対し、NATOの側は、守られるだけではなく同盟の一員として実戦に参加し義務を果たすべきであるという点を強調した。そのため加盟により「これで2度と戦争と抑圧を経験することがなくなる」と期待した中・東欧各国は、それと裏腹に、武器・戦闘機の購入、軍の近代化など、軍事力強化に向けての具体的改革と、合同訓練や実戦への具体的参与、すなわちアフガニスタンや、イラクへの兵士の派遣を義務として負わせられることになる。ここに国民レベルでのギャップが存在した。イラク戦争に対して、NATOに加盟直前の中・東欧政府は、こぞってアメリカ支持・介入支持を打ち出したが、国民レベルでは反対も強く、ポーランドを始めとして多くの政権党は、その後の選挙で敗北することとなった。安全保障問題では、依然として政府と国民のギャップが存在している。