ウクライナは、歴史的にも文化的にも東西に分断されており、その分断が、政治的断層にまでつながっている。西ウクライナは20世紀初頭まで旧ハプスブルク帝国の支配下に置かれ、東方帰一教会などカトリックの影響が強い。他方、東ウクライナは、キエフ・ルーシ(キエフ公国)の発祥の地であり、歴史・文化・宗教、さらにエネルギー・軍事面でもロシアと関係が深い。こうした中、西ウクライナの強い「ヨーロッパ回帰」の動き、「我らのウクライナ」を中心に、2004年11~12月に「オレンジ革命」が起こり、ウクライナはユーシェンコを大統領に選出し、改革を達成した。しかしその後、必ずしもEU(欧州連合)やヨーロッパ諸国の積極的な支持が得られない中、再びロシアのエネルギーと政治力に頼ろうと、ユーシェンコと大統領選で争った東ウクライナ出身のヤヌコビッチが首相に選出される(06年8月)動きもあり、西か東か、ヨーロッパかロシアか、の対立調整が続いている。
06年12月の黒海周辺での住民投票で、NATO(北大西洋条約機構)への加盟反対が多数を占める状況が現出した。そうした状況の中、08年のNATO首脳会議では、クロアチア、アルバニアのみが、NATO加盟の申請を承認された。マケドニアについては、ギリシャとの国名問題が解決するまでは加盟申請の承認を延期し、ウクライナについても、将来的な加盟は確認されたものの、短期の加盟承認は凍結されている。