シェンゲン協定とは、1985年ルクセンブルクのシェンゲンで締結された協定で、協定国内における人の移動の自由を保障したもの。その後アムステルダム条約内に包摂され、締結国の「域内」の完全な自由移動を保障するとともに、「域外」の出入国を管理する代名詞となった。シェンゲン協定には、96年末までにEU(欧州連合)15カ国が加盟した(フランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、デンマーク、95年よりオーストリア、スウェーデン、フィンランド、EU域外よりノルウェー、アイスランド)。2007年末には、キプロスを除く新加盟国9カ国(ハンガリー、ポーランド、チェコ、スロバキア、スロベニア、リトアニア、エストニア、ラトビア、マルタ)が加盟し、ルーマニア、ブルガリア、スイス、キプロスも調印して、シェンゲン協定加盟24カ国、調印(未実施)28カ国となった。この間、シェンゲン協定を巡っては、内なる自由移動を保障するため、結果的に外部の出入国を強化することで、二つの「欧州境界線」が問題となった。一つめは、1989年の「東欧革命」により体制転換を行った旧東欧との境界線、第2は、当面EUに加盟予定のない域外の国々との境界線の問題である。
旧東欧諸国との関係については、2007年まで移民流入問題を巡ってEU内部の境界線に緊張があった。すなわち04年のEU加盟後も、「ポーランド人の配管工」という蔑称にも象徴されるように、自国の失業の長期化と低賃金の固定化をもたらすと危惧する既加盟国の民意と、新加盟国の民意が対立したこともあり、EUは、新加盟国との間に、2+3+2の最大7年間、移民流入を各国ごとに制限することを認めた。しかしこれが「自由移動」を原則とするEU内部に、格差や差別を生むこととなり、今回の早期のシェンゲン領域の拡大につながった。
第2は、EU域外との境界線の問題である。ソ連が崩壊し、東側に破綻(はたん)国家が現出し、武器やNBC兵器(核・生物・化学兵器)等の拡散が疑われたことから、司法・内務協力の観点からも、移民・武器の流入を厳しくチェックすることが必要となり、その結果、旧来境界線のなかった地域に新たな境界線とチェックが導入されることとなって、摩擦と緊張を生んだ。そうした地域として、ポーランドとリトアニアのEU加盟によりEU域内に包摂され、自国に渡るにもビザが必要となったロシア領カリーニングラードの問題、新加盟国ハンガリーと非加盟国のハンガリー系マイノリティー地域(ルーマニア、ウクライナ、セルビアなど)、EU加盟国の境界線との間に少数民族地域を抱える「西バルカン」諸国などが問題となった。
これらの問題に対処すべく、EUは、07年末から08年始めにかけ、新加盟国のほとんどを自由移動の境界線のうちに取り込むこととなったが、それは逆にEU域外との出入国管理を強化・遮断することになり、域外境界を巡る人やものの移動の自由の保障など、新たな対応を迫られている。