NATO(北大西洋条約機構)の東方拡大とイラク戦争以降、アメリカと中・東欧の関係が強化された。イラク戦争の過程で、中・東欧は、いずれもこうした新しい戦争にコミットせざるを得なくなった。フランス・ドイツのアメリカ批判とは異なり、2003年1月には欧州8カ国、2月にはビルニュス10と呼ばれる中・東欧10カ国が、イラク戦争においてアメリカを支持する声明を出し、世界を驚かせた。以後、アメリカの要請や派兵補助金もあり、中・東欧各国はイラクに派兵し、ブッシュ前政権の世界戦略を支えた。中でもポーランドは、ヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカを含む21カ国の軍隊延べ1万人をイラクで率い、自国も2400人を派兵、イギリス、オーストラリアに並ぶ「有志連合」の主力部隊となった。その結果、中・東欧はアメリカのラムズフェルド国防長官(当時)に「新しいヨーロッパ」と呼ばれて持ち上げられた。しかし03~05年にかけて、兵士の殺害、ジャーナリストらの拉致、誤射、さらに国民の間での政府批判なども強まる中、全体を引っ張っていたポーランド軍の誤射により兵士を死亡させたブルガリアなどにおいて、国民の圧力により総選挙で政権が交代し、イラクからの撤兵要求が強まっている。