1989年、米ソの冷戦の終結宣言と、ゴルバチョフのソ連が、東欧がいかなる体制を選択しても軍事介入しないとする「体制選択の自由」を保障してから、東欧の変革は急速に進み、多元化、歴史の見直し、複数政党制の導入、市場経済化などが相次いで行われた。ポーランドでの「円卓会議」やハンガリーでの「鉄のカーテンの切断」に象徴される出来事の後、民主化・自由化を求める変革はドミノ現象のように旧東欧全体に広がった。東西ドイツのベルリンの壁の崩壊、チェコスロバキア(当時)での「ビロード革命」、さらに最後まで残ったルーマニアのチャウシェスク独裁体制のクリスマスの夜(89年12月25日)の崩壊と、その後の革命裁判と死刑断行で、終止符を打った。その後90年代前半は、「自由選挙」で選出された新政権により、民主化、自由化、市場化、「ヨーロッパ回帰」を掲げた改革が急速に広がった。しかし現実には国営企業の倒産や農業生産協同組合の解体と大量の失業、貧富の格差や地域格差の拡大、GDP(国内総生産)の急速な落ち込みなどにより、90年代半ばには「社会主義ノスタルジー」と呼ばれる現象が現れ、改革派社会主義政党が再び政権についた。また世紀転換期から2004年のEU(欧州連合)加盟にかけては経済不安も強まった。しかし加盟前後におけるEUからの経済支援(欧州経済復興開発銀行〔EBRED〕や、EUの中東欧地域経済支援〔PHARE〕)を受け、中欧地域の経済は徐々に回復と発展に向かった。