民主左翼連合は、体制転換後、旧共産党(統一労働者党)の党員からなる諸党の連合体として機能していたが、1999年に一つの党として再編された。党首はクワシニエフスキ(大統領)、ミレル(2001~04年、首相)、ヤーニクと変化。欧米双方に基盤をもつ欧州社会民主党として成長。イラク戦争では強力にアメリカを支持し、ドイツ・フランスと対立し、ブッシュ政権との強力な友好関係を築いた。05年にもアメリカのライス国務長官(当時)から、軍近代化のために1億ドルの援助を得た。ミレルの退陣後は、ベルカ内閣が組閣されたが、05年9月の総選挙で「法と正義」に敗北し下野した。
「法と正義」は05年9月の総選挙で、敗北した民主左翼連合に代わり、入閣した当初は単独少数内閣であったが、その後第2党の「市民プラットフォーム」、レッペルの「自衛」と結び、カチンスキ(双子の弟)を大統領として、政権に入閣した。首相はマルチンキエビッチであったが、その後、カチンスキ(双子の兄)に代わった。新内閣ではEU(欧州連合)の農業政策に強い不満を示す右派農業政党、「自衛」を率いるレッペルが農業大臣となった。中・東欧の中でも、EUに対し、とくに欧州憲法条約を巡って批判的態度をとったが、その後内政問題や親米・反EU政策が市民の不評を買い、2007年10月の総選挙で、EU方向に再びかじを取る新政権となった。