ルーマニアでは、1989年クリスマスの「チャウシェスクの処刑」以降、体制転換後も、イリエスクの救国戦線(旧共産党改革派)が政権を引き継ぎ、96年まで続いた。同年の選挙でコンスタンチネスク大統領の下、民主派内閣が発足したが、民意をつかみきれず、2000年には再びイリエスク大統領と社会民主党内閣が返り咲いた。その間、トランシルバニアでは、反ハンガリー人少数民族を掲げるフナル知事の選出や、大統領選挙でのトドル大ルーマニア党の躍進など、ナショナリズムが強まった。ハンガリー人マイノリティーへの便宜供与をうたって、ハンガリーで制定された「地位法」に関しては、ルーマニア政府はそれを主権侵害であるとして強く抗議した。東の民族問題としては、モルドバにおけるルーマニア人マイノリティー問題を抱えており、モルドバのEU(欧州連合)加盟を支持している。NATO(北大西洋条約機構)には04年に加盟し、イラク戦争ではアメリカの介入を支持し、中東への前線基地として、在独米軍の移管を要請している。
ブルガリアでは、1990年の体制転換以降、社会党と民主勢力同盟が交代に政権を担ったが、2001年の選挙で、シメオン2世国民運動が元国王を首相として政権に就いた。04年12月には、シメオン首相と小泉純一郎首相(ともに当時)が、ブルガリアのNATO加盟や07年EU加盟を踏まえ、経済・安保・国際関係での協力協定を締結した。イラク戦争には、NATO加盟直前でもあり、ほかの中・東欧とともに、政府はアメリカの介入に賛成したものの、国民の間には、体制転換後、ようやく平和が訪れたにもかかわらず自国の兵士を戦場に送ることに対する反発も強く、05年6月の総選挙では社会党が勝利し、イラク派兵部隊の撤退を要求した。07年1月にはルーマニアとともにEUに加盟した。