2009年は、冷戦終えんの1989年から、早くも20年である。冷戦終えん後、東西に分断されたヨーロッパが一つになったことへのユーフォリア(熱狂)が90年代初めを覆ったが、21世紀に入り、グローバリゼーションによる地域環境差と、域内格差がヨーロッパを覆った。そうした中で、歴史の見直しと和解が新たな段階を迎えている。ドイツとフランスは、共同の歴史教科書作りを進めることにより、文化と教育面での「和解」と共同かつ多様な歴史理解という点で、一定の功績を残してきた。他方で、この間、ドイツと旧中・東欧の間で行われている歴史の再構築では、大量のドイツ人追放に対する賠償金の要求など、ドイツからの「被害者意識」の発露が見られ、これが中・東欧とりわけ、ポーランドやチェコとの間に、ある種の亀裂を生んでいる。旧来ヨーロッパの和解は「独仏和解」として語られてきたが、より困難で、戦争責任や、歴史の記憶が生々しいのは、数百万人を虐殺され放置された、中欧諸国であろう。ドイツとポーランドの歴史教科書作りは、曲折を経ながら進められた。「共同の歴史」が認識できずに、委員たちが何度も席を立った、最終的に互いに合意できたのは「共通の歴史教科書は書けない」ということであった、という認識から、多くを学ぶことができる。