正式名称は「ヨーロッパ連合条約およびヨーロッパ共同体設立条約を修正する条約」。2007年10月の欧州理事会において「改革条約」最終草案が合意され、同年12月13日にリスボンで調印された。マーストリヒト条約(1992年)やアムステルダム条約(97年)、ニース条約(2001年)のような過去の基本条約にならって、調印された都市の名前をとってリスボン条約と呼ぶ。
ヨーロッパ統合の完成を目指して04年10月にローマで調印された欧州憲法条約が、05年にオランダとフランスの国民投票で批准を拒否されたため、「熟慮期間」を設けることが決定された。07年に欧州連合(EU)議長国となったドイツは、「熟慮期間」の終結を声明、同年3月のEU非公式首脳会議で「ベルリン宣言」を発するのに主導的役割を果たした。これを受けて6月4日には、448条から成る欧州憲法条約を70条にまで簡素化した改定憲法条約案が発表され、政府間協議(IGC)や外相会議における討議を経て、12月のリスボン首脳会議で最終的に調印されるに至った。
リスボン条約は上記の諸条約や欧州共同体設立条約(ローマ条約)、欧州連合基本権憲章などの諸条約を修正する形をとっており、従来の諸条約を一本化することを意図したのとは異なる。リスボン条約が「改革条約」と呼ばれるのは、複雑多岐にわたる欧州憲法条約をスリム化し、「憲法」という用語を用いないことで、すべての加盟国が批准しやすいようにした点に求められる。欧州憲法条約の骨格であった任期2年半のEU大統領に相当する常任議長職の新設や、EU外相に相当するEU外交・安全保障政策上級代表の新設、EU本部の大幅な機構改革、欧州議会の権限強化、内務・司法分野での協力システムの強化などが進められることになった。