2005年10月27日にイスラム系移民の多くが居住するパリ北東郊外のセーヌ・サンドニ県で北アフリカ系青年2人が感電死したのを契機に発生した騒乱事件が、数日間でフランス全土274自治体に拡大、シラク政権(当時)は11月9日に1968年の学生革命の際に発令されて以来38年ぶりに非常事態法を発動して騒乱の激しかった25県に適用、鎮圧に踏み切り、これにより暴動はようやく鎮静化した。騒乱の原因は北アフリカ系移民などフランス社会で失業と貧困から抜け出せず、2級市民扱いをされてきた移民の日ごろの鬱積(うっせき)した不満に求められる。しかし、騒乱を起こした若者たちを「社会のくず」と呼んだサルコジ内相の挑発発言は撤回されるどころか、移民審査の厳格化や外国人逮捕者の国外追放など、強硬措置を連発し、シラク政権は社会に内在する反移民感情を追い風にした対応を選択した。