国内の複数の民族に対して、それらの異なった文化の共存を積極的に認めようとする社会。オランダは従来、多文化主義に基づく「寛容の王国」と見られてきた。宗教と政治的信条によって形成される「集団(柱)」が、それぞれ自由を認められ、平和的な共存を可能にするような仕組みをつくり、柱状化社会ともいわれた。ところが、1970年代、労働力不足に悩んだオランダに移民の流入が始まり、やがてイスラム教徒が外国人労働者の主流となった。60年代以降、オランダの柱状化社会も次第に溶解しはじめ、現在ではすでに解体してしまったといわれるが、信教・教育の自由といった基本原則や仕組みは残り、それに支えられてイスラム教徒も独特の柱を形成するようになった。しかし、90年代から移民2世、3世の失業と社会的不適応の問題が深刻化する。労働、教育政策などの社会統合政策の強化がなされてはきたが、イスラム社会を糾弾してきた映画監督テオ・ファン・ゴッホが2004年、移民2世の青年に暗殺される事件などを経て、国内でもオランダ・モデルへの批判が強まっている。