2009年10月28日に発足したドイツのメルケル中道右派政権は、世界経済危機に巻き込まれ過去最悪の状態に落ち込んだ国内経済の回復に向けて内需喚起策を打ち出したが、ウェスターウェレ党首率いる自由民主党(FDP)の支持基盤である中小企業への法人税の減税や所得税の大幅減税を行えば、財政赤字を拡大しかねないというジレンマに直面することとなった。現在の高い社会保障基準を引き下げれば、内需喚起の効果を削いでしまい、野党の攻撃にさらされるというジレンマも抱える。政権発足後には公的融資で救済を図ろうとした自動車会社オペルの売却問題がアメリカのゼネラル・モーターズ(GM)の経営破綻(はたん)問題と絡んで頓挫し、さらにアフガニスタンに派遣しているドイツ軍の空爆によって多数の民間人が犠牲になった事件を隠していた事実が発覚し、事件当時に国防相であったユング労働相が11月27日に辞任。また、10年5月に行われたノルトライン・ウェストファーレン州議会選挙で連立与党のキリスト教民主同盟(CDU)が過去最低の得票率で敗北し、FDPとの合計議席が過半数割れした結果、州代表で構成される連邦参議院でも連立与党の議席が過半数を割るなど、政局運営に多くの課題を背負うこととなった。11年3月と9月に行われた地方選挙で連立与党が相次いで敗北、また12年5月に実施された最大の人口を擁するノルトライン・ウェストファーレン州議会選挙でも社会民主党(SPD)に大敗、CDUは第二次世界大戦後最低の得票率に泣いた。また、11年秋に深刻化したギリシャの政府債務問題やその後のイタリア、スペイン、ポルトガルなどでの債務危機の連鎖反応に対して、フランスとの協調路線で一時的にユーロ圏の崩壊に歯止めをかけたが、財政基盤を揺るがしかねないメルケル政権の南欧支援に国内の不満を高めたことも否めない。ドイツ史上初の女性宰相として、05年以来7年余にわたって政権を率いてきた指導力の鼎(かなえ)の軽重が問われようとしている。一方、14年3月に発生したロシアによるクリミア併合や、その後のウクライナ東部におけるウクライナ政府と親ロシア勢力との武力紛争にあたってフランスとともに調停に当たり、EU外交の要の役割をはたして注目された。