2011年11月、イタリアの財政危機回避のために成立した、経済専門家のみからなる暫定内閣。欧州債務危機が大国イタリアにも波及するに及んで、緊縮財政がとられたが、これに対する国民の不満が高まり、11月ベルルスコーニ首相が辞任した。これを受けて、経済専門家のマリオ・モンティが、危機に効果的に対処するため、イタリア史上初となる非国会議員のみで構成される組閣を行った。モンティ内閣は、ほぼ全政党の支持を受け、13年の財政収支均衡という目標達成のため、消費税率引き上げなど歳入増加、年金支出の削減など歳出削減、そして女性・若年労働者の雇用促進などの成長戦略を成立させた。しかし、12年秋以降、次期総選挙をにらんだ各政党の駆け引きが活発化し、ベルルスコーニ率いる自由国民党(議会第1党)が、政権の信任を拒否したことを受けて、モンティ首相は辞意を表明した。
13年2月下旬に行われた総選挙では、モンティ政権の改革継続を主張する中道左派連合と、反緊縮を唱える自由国民党などの中道右派連合の勢力が拮抗した。ユーロ圏からの離脱まで訴えるミニ政党「5つ星運動」(Five Star Movement ; 5SM)も票を伸ばした。この結果、安定政権樹立の見通しが立たず、欧州債務危機再燃を懸念する見方が強まった。