ニコラ・サルコジは2007年のフランス大統領選挙で社会党(PS)のロワイヤル候補を破り、シラク大統領の後継として保守中道層の支持を得ながら持続的成長をフランス経済にもたらすことを最大の目標に、景気刺激策を打ち出した。しかし、その矢先にアメリカ発のリーマン・ショックの余波を受け、さらにギリシャの債務危機を契機に襲った欧州連合(EU)の共通通貨ユーロの価値の下落に伴い、輸出不振と失業者の増大に見舞われることとなった。結局、景気の持ち直しに失敗したサルコジ政権は、頼みの中間層の支持をも失い、どん底の経済を立て直すことができないまま、12年大統領選挙を戦うことを余儀なくされたのである。同年2月時点で第5共和制の下での大統領支持率が最低を記録したのは、サルコジ政権の経済運営の失敗からくる当然の結果であった。その点では、現職大統領として致命的な条件を背負わされて選挙に臨まざるを得なかった、と言ってよい。
外交・安全保障政策では、ドイツとともにEU統合の牽(けん)引車的役割を果たし、09年のリスボン条約発効に伴う共通外交・安全保障政策(CFSP)の枠組みの拡大やヨーロッパ安全保障・防衛政策(ESDP)の調整に核保有国としてのフランスの影響力の行使に努めた。その点で、ドゴール時代に確立された他の国の意向に左右されない独自色の強い外交・安全保障政策から、EUの枠内での協調政策へとさらに軌道修正が図られた。ヨーロッパ経済の再建についても、ギリシャの債務危機に端を発したユーロ危機への対処をめぐってサルコジ大統領はドイツのメルケル政権との強固な連携関係を基にユーロ圏の再生に尽くした。両者の名前を合成した“メルコジ”再生戦略という表現がメディアで使われるほど、独仏の蜜月関係の維持に腐心した。しかし、こうした努力も報われず、わずか1期5年で大統領の座を失い、サルコジ時代の終焉(えん)を迎えることとなった。