2013年4月30日発足のイタリア大連立政権。財政収支均衡政策に専心してきたモンティ首相の辞意表明を受けて、13年2月に総選挙が実施された。しかし、結果は上院で過半数を占める勢力がない状態となり、組閣は難航した。その中で、4月末になってようやく成立したのが中道左派民主党のエンリコ・レッタ首相率いる内閣である。政権には議会の2大勢力、中道左派連合と中道右派連合、それにモンティ前首相の政党連合が加わった。レッタ政権は就任時に緊縮政策から成長路線への転換を表明したが、債務残高が大きいイタリアでは緊縮政策をとらざるを得ない。国民の不満を背景に、政権は内外からの反緊縮の圧力に揺さぶりをかけ続けられてきた。内部からは、ベルルスコーニ元首相の議会第2勢力、中道右派政党「自由国民」の圧力があった。ベルルスコーニ氏はメディア王であり、ACミランのオーナーである。この20年間イタリア政界に君臨したが、その間、脱税や買春疑惑など醜聞が絶えなかった。しかし、13年8月、ついに最高裁判所で脱税容疑に対して有罪が確定し、11月末には上院で議員資格はく奪が決定された。その後、「自由国民」は分裂し、一部が新会派として政権にとどまったため、レッタ政権には追い風とはなった。他方、野党には、09年人気コメディアンのペッペ・グリッロが設立した「5つ星運動」(Five Star Movement , 5SM)がある。ユーロ圏からの離脱、反緊縮を訴えて急激に党勢を伸ばし、議会第3勢力になった。しかし結局、改革は停滞し、民主党内部からの退陣要求を受け、レッタ首相は14年2月に辞任した。後継はフィレンツェ市長のマッテオ・レンツィ民主党書記長が就任した。