イラクに、湾岸戦争の停戦協定の履行、イラク市民の人権保護を迫り、アメリカとイギリスを中心に行った武力行使(「イラクの自由」作戦)による国際介入。主要戦闘期間は、2003年3月20日未明のアメリカ軍によるサダム・フセインをねらった空爆から、5月1日のブッシュ米大統領の戦闘終結宣言までである。しかし4月9日のフセイン政権崩壊後も旧バース党、軍人、イスラム過激派などによる武装闘争が激化し、多数の死者を出している。戦争の目標は(1)フセイン政権の打倒、(2)大量破壊兵器の発見と廃棄、(3)イラク国内のテロリストの拘束と駆逐、などであると言及されている。投入された兵力は26万3000人で、ハイテク環境下での局地戦が中心であった。この行動に参加もしくは支持した有志連合は、日本を含め44カ国であった。なお、紛争の理由の大量破壊兵器およびアルカイダ関係は、その後のアメリカ独自の調査では立証できず、08年3月、アメリカ国防総省はアルカイダ関係を証拠づけることはできないとの報告をまとめている。