2004年6月に連合国暫定当局(CPA)が、イラクに統治権限を移譲して以降の平和構築の動き。統治機構づくりは04年3月制定の基本法と同年6月の国連安保理決議1546に従ってなされた。その過程での重要な動きは、04年8月暫定国民評議会議員の選出、05年1月制憲議会選挙の実施(投票率58%)、同議会での憲法草案作成、同10月国民投票による草案承認(投票率63%、賛成約79%)で、法の統治の骨格がつくられた。さらに同憲法に基づき、12月に国民議会選挙が実施された。その結果、275議席中、シーア派宗教勢力の「統一イラク同盟(UIA)」128、クルド人勢力の「クルド同盟」53、スンニ派勢力の「イラクの調和」44など、単独過半数を占める政党はなかった。このため、マリキ政権誕生(06年5月)まで時間を要し、政治的空白の間に治安がいっそう悪化した。また、07年には政策協議において利益対立が激化し、閣僚に加わったサドル派(6人)が辞任する事態も生じた。しかし、09年2月の地方選挙ではマリキ首相が所属する「法治国家連合」が躍進し、国民和解への道を開いた。