2005年8月にイラン大統領に就任したアフマディネジャド政権の動向。同大統領のイスラエルに対する過激な発言や欧米との対立が目立つ外交姿勢、経済政策の失敗などにより、イラン国民からは同政権への厳しい意見もあった。この批判を裏づけるように、06年12月の地方評議会選挙と専門家会議選挙では、大統領の基盤である保守強硬派が惨敗した。同政権は経済政策として、(1)国営企業の値上げ禁止、(2)大幅な銀行利息の引き上げ、(3)ガソリン価格の引き上げと配給制の導入、を打ち出し、結果として消費者物価の上昇(17%から30%へ)を招いている。このことで、石油相、鉱工業相、中央銀行総裁が辞任するなど保守派内でも大統領批判が高まり、08年3月の国会選挙では保守派が勝利したものの、同派内の反大統領勢力の台頭が見られた。一方、外交面では反米的なシリア、ベネズエラとの関係強化や上海協力機構(SCO)を通し、中国、ロシア関係の維持に努めた。同大統領は特に07年では、3月にサウジアラビア公式訪問(1999年以来)を行い、宗派対立の阻止について首脳協議を行っている。イランは、核開発問題やイラクをはじめ中東諸国でのシーア派勢力の台頭にともない、脅威論の対象となりつつあり、国家としてのみならず、政権自体が孤立化する傾向もある。