シーア派武装勢力ヒズボラとレバノン政府との関係。レバノンは2005年2月のハリリ元首相暗殺事件、その後の5月からの国民議会選挙で、シリアの実効支配を脱し主権回復を図るムスタクバル運動が活発化した。その運動の原則の一つに、国連安保理決議1559(04年9月)でも言及されている、民兵の武装解除などが盛り込まれている。一方、ヒズボラ指導者ナスラッラー師は05年5月イランを訪問し、(1)武装抵抗運動の継続、(2)中東和平問題の包括的解決、でイラン首脳と合意し、支援を取り付けた。主権国家内で武装勢力が外交と軍事力に多大な影響力を持つ点に問題があり、国際社会はレバノンの国民和解の推進と、シニオラ政権(当時)支援を打ち出した。その後08年、シニオラ政権とヒズボラの対立が武力衝突に及び、アラブ連盟の仲介のドーハ合意で事態が沈静化を見る。09年6月に実施した国民議会選挙では反シリア姿勢をとる「3月14日連合」が勝利し、その中核となったムスタクバル運動のサアド・ハリリが首相に就任し、13議席となったヒズボラとの和解に努めている。