トルコ大統領候補をめぐる対立が要因で早められた2007年の総選挙で、与党の公正発展党(AKP)が再び勝利し、発足した2期目の政権。トルコにおいて、大統領職は世俗主義の象徴と考えられる傾向があった。その職に、イスラム色の強いエルドアン首相やギュル外相(当時)が立候補することに、軍や国民から反対の声が上がり、07年4月末にはアンカラやイスタンブールなどで大規模な市民デモが実施された。トルコの大統領は国会議員によって選出されるが、AKPの候補者となったギュル外相は、野党の共和人民党などの議員の3分の1以上の投票ボイコットに遭い、選出されなかった。これを受け、エルドアン首相は07年11月に予定されていた総選挙を7月22日に繰り上げ実施し、新たな国会議員で大統領選挙に臨むことを決めた。AKPは立候補者について、中間層の人々を取り込むため、宗教色の強い人々を避け、幅広い分野からの人選を行った(女性候補者も増加)。また、党の綱領からは、イスラムの概念が読み取れなくなった。このような軌道修正によって、総投票数の46.3%(550議席中341議席)を獲得し、大勝を収めた(共和人民党110、民族主義者行動党71、独立系28)。エルドアン首相は07年8月29日に、その前日に大統領に就任したギュルより閣僚リストの承認を得、9月5日、国会承認を経て第60代内閣が成立した。