1948年5月の第1次、67年の第3次中東戦争によって、パレスチナの土地を追われ難民となっているパレスチナ人。前者を48年難民と呼び約70万人、後者を67年難民または避難民(displaced persons)と呼び推定32万人であった。50年に施行された不在者財産没収法により、47~48年9月までの間にパレスチナの居住地を離れたパレスチナ人の土地、家屋などの財産は没収され、ユダヤ人の入植地となった。2002年での国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への難民登録は約408万人である。難民の約3分の1が難民キャンプに居住しており、その生活は厳しい。国連は、1949年12月総会で決議194を採択した。これは、難民の故郷への帰還の権利とそれを放棄した者への財産の補償を認めたものである。このように難民問題は、帰還権の放棄、財産補償、離散家族問題もからむことになり難問となる。