イラクとクウェートによる領土紛争。1990年8月2日、イラクはクウェート全土を制圧。イラクの戦争目的はクウェートの利権確保とアラブの盟主としての地位確立にあった。これに対し、アメリカ軍54万人を中心とした28カ国で形成された多国籍軍(multinational forces)は、クウェートの解放と国際秩序の回復を目的に結集された。展開はイラクによるクウェート併合が進むなか、多国籍軍は経済封鎖を実施するとともに、増援による軍事圧力をかけ続けた。外交面でも90年11月には国連の安保理決議678で対イラク武力行使容認決議を採択。最終的に91年1月17日、多国籍軍は「砂漠の嵐」作戦(Operation “Desert Storm”)を発動、湾岸戦争にエスカレートした。戦局は航空戦から地上戦の「砂漠の剣」作戦(Operation “Desert Saber”)に移り、2月27日にクウェートを解放、イラクが国連安全保障理事会による停戦決議を全面受諾し、同年3月3日、停戦協定が締結された。国連は4月3日、(1)クウェートへの賠償、(2)大量破壊兵器の破棄、(3)国境の尊重、(4)抑留者の帰還、などを内容とする安保理決議687を採択し、同月6日にこれをイラクが受諾することで停戦合意が成立した。なお、イラクがこの停戦合意を履行しないことが2003年のイラク戦争の要因となる。