キプロス共和国の連邦化にともない、強い中央政権下の連邦を主張するギリシャ系住民と、国家連合を主張するトルコ系住民との間に起きている紛争。対立の経過は、ギリシャ系の単独による新選挙法制定(1965年)、実施(70年)、トルコ系の暫定行政府設立(67年)と進み、74年には、ギリシャ系内部抗争によって生じた軍事クーデター(7月)を機に、トルコ軍がキプロスに展開、全島の36%を占領下に置いた。以後トルコ系はキプロス・トルコ連邦州宣言(75年2月)、北キプロス・トルコ共和国独立宣言(83年11月)を行うが、トルコが承認・支援するのみ。調停努力は、アナン前国連事務総長が2002年11月に和平案を提示、その後、04年4月両国間で再統合の住民投票が実施され、統合はギリシャ系側の反対多数で否決された。同年5月にギリシャ系の「キプロス共和国」が欧州連合(EU)に加盟したことで、キプロス共和国を国家承認しないトルコがEU加盟問題で苦慮している。なお、国連は08年7月以来新たに事務総長特別顧問を任命し、問題解決に当たっている。