2007年6月、ハマスがファタハとの武力衝突で勝利し、ガザを統治するようになったためパレスチナが分裂状態になった問題。ハマスは、06年の選挙で勝利した後、ファタハとの連立内閣を模索したが難航した。07年2月サウジアラビアのアブドラ皇太子が仲介を行いメッカ合意が成立し、3月に挙国一致内閣が成立した。しかし、ハマスとファタハは、治安部門の統合をめぐり調整がつかず、07年6月、ガザで武力衝突が発生し、勝利したハマスがガザを統治するようになった。アッバス大統領が西岸で新しい内閣を創設した結果、パレスチナは分裂状態になった。イスラエルや国際社会は、西岸の自治政府を支援した。ガザのハマス「政府」は、西側諸国の間では孤立したが、イランなどの支持を得た。パレスチナの選挙は、国際的に公正だとの評価が確立している。ハマスは、公正な選挙で選ばれたパレスチナの正統な代表である。他方、ハマスは、選挙を可能にしたイスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)の政治的合意を認めることを保留している。そのため国際社会は、ハマス政府と交渉しない立場を維持している。この奇妙な矛盾状態が継続しており、結果としてガザは国際的に孤立している。08年末から09年1月にかけてイスラエル軍はガザへの大規模軍事攻勢を行い、パレスチナ人約1300人が死亡した。国際社会は、イスラエル軍の過剰な武力行使を非難したが、ハマスを支持する国際世論は生まれず、困窮するガザの住民への懸念が増大した。停戦後、国際社会はガザ復興基金への拠出に合意したが、ガザへの援助はほとんど行われていない。イスラエルは、07年夏からハマスが統治するガザに対する厳しい経済封鎖を開始し、10年半ばにかなり緩和したが、依然、経済封鎖は継続している。