西岸とガザで行われているパレスチナ自治政府と自治地域の法的地位を、最終的に決める交渉。言い換えるとパレスチナ国家創設のための交渉。1993年9月13日に、イスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)が署名した、パレスチナ自治に関する諸原則合意(オスロ合意)では、自治を開始して5年以内に最終地位交渉を行うとされた。最終地位交渉では、(1)入植地、(2)東エルサレムの地位、(3)難民問題、(4)国境画定、などについて合意するとされた。最終地位交渉は、2000年夏に開始され、まだ合意に至っていないが、10年末も継続している。1990年代には、パレスチナ国家という表現は一切使用されなかった。しかし、2002年にアメリカのブッシュ大統領(当時)は、曖昧(あいまい)な表現をやめ、パレスチナ国家という言葉を使用した。それ以降、パレスチナ国家という表現は急速に一般化した。00年末、クリントン大統領(当時)が、試案として口頭で最終地位の合意案(クリントン提案)を提案した。同提案は、現在も有効な合意モデルになっている。01年春以降、交渉は長期にわたり中断したが、専門家などによる非公式協議が活発に行われてきた。すでに両者の間では、パレスチナ国家の輪郭は、当事者の間でおおまかな合意点は形成されている。アメリカのオバマ政権は、漠然と共有されている合意点の輪郭を、より具体的な形にしようとしている。