パレスチナが国家創設をめざす地域。旧イギリス委任統治地域の中で、主権が確定していない地域。オスマン・トルコ帝国解体後、第一次世界大戦終了後からイギリスがパレスチナを委任統治した。イギリスは、ヨルダン川東岸をヨルダン王国とした。残りの地域では、ユダヤ勢力とアラブ人(パレスチナ人)が国家創設を模索した。イギリスは、誰に主権を移譲するか決められず、委任統治を放棄し、1948年5月に撤退した。国連は、パレスチナ分割を決議(決議181)したが、アラブ側が拒否し、イギリス軍撤退後、イスラエルが独立を宣言し、第1次中東戦争(48~49年)になった。この時イスラエル軍が占領した地域が、現在のイスラエルである。ガザはエジプト軍が、西岸はヨルダン軍が占領した。エジプトはガザを併合せず、ガザの主権は未定状態になり、住民は無国籍になった。ヨルダンは西岸を併合しようとしたが国際的な認知を得られなかった。しかし西岸ではヨルダンの実効支配があり、住民はヨルダン国籍が付与された。67年の第3次中東戦争で、イスラエルは西岸とガザを占領した。イスラエルは、西岸の東エルサレムはイスラエル領土に併合したが、西岸の他の部分とガザの主権は未定のまま軍事占領を継続し、軍政が国家の機能を代行した。西岸で第1次インティファーダが発生した後の88年、ヨルダンは西岸に対する法的な権利を放棄した。88年秋、PLO(パレスチナ解放機構)は、西岸とガザに国家を建設する独立宣言を採択した。94年からパレスチナ暫定自治が西岸とガザで開始されたが、主権は未定のままである。2005年にイスラエル軍はガザから一方的に撤退し、ガザの軍政は終了した。ガザは自治政府が準国家として統治する地域になったが、07年、パレスチナの内部抗争の結果、ハマスがガザを実効支配するようになった。しかし、ハマスは単なる政治組織で、自治政府でも準国家でもないため、公式な政府機能が存在しない地域になった。西岸は、現在もイスラエル軍政下にある。1948年から主権が確定していない西岸とガザは、最終地位交渉を経て、主権を確定し、住民に国籍が付与される予定。