1991年11月にスペインのマドリードで開催された中東和平国際会議から継続されている、イスラエルとその周辺当事者(シリア、ヨルダン、レバノン、パレスチナ)との交渉。交渉の形式をめぐりイスラエルは二国間交渉形式、アラブ側は国際会議方式を主張した。アメリカは、開会式を国際会議方式で行い、その後の協議を二国間交渉にすることで交渉再開にこぎつけた。大きな変化は、パレスチナの住民代表が、歴史上初めて交渉に参加したこと。当初はヨルダン・パレスチナ合同代表団として参加したが、その後はイスラエル・パレスチナ交渉になった。パレスチナ側は、最初は住民代表が交渉を行ったが、その後PLO(パレスチナ解放機構)がオスロで秘密交渉を開始し、93年9月9日に相互承認を行い、イスラエルとPLOの公式な交渉が可能になった。9月13日、パレスチナの暫定自治合意に関する諸原則(オスロ合意)がホワイトハウスで調印された。その後94年5月には、ガザ・エリコ暫定自治合意(カイロ協定)が調印され、ガザと西岸のエリコでパレスチナの暫定自治が開始され、パレスチナ自治政府が成立した。95年秋に拡大自治が合意され、自治地域が拡大された。2000年夏には、最終地位交渉が開始され、パレスチナとイスラエルの交渉は最終段階に進んだ。しかし、同年秋以降、イスラエルとパレスチナの武力衝突が激化し、交渉は中断された。11年末までに断続的に交渉が行われているが、合意には至っていない。ヨルダンとイスラエルの間では、1994年10月にヨルダン・イスラエル和平条約が締結された。シリアとイスラエルは、断続的に交渉を行い、双方は約8割がた合意したとしているが、詰めの作業は中断されたままである。イスラエルとレバノンの交渉は、まだ1回も行われていない。