エジプトで2011年1月に発生した大規模な抗議行動によりムバラク大統領が辞任に追い込まれ、長期独裁体制が崩壊した出来事。チュニジアで1月14日に起きた政変の影響もあり、1981年のサダト大統領暗殺以来29年間政権の座にあったムバラク大統領に対する抗議デモが2011年1月25日から開始された。背景には長年のムバラク政権下で生まれた貧富の差の拡大と腐敗、若い世代の高い失業率や、政府批判を封じ込める強権政治などがある。デモはインターネットのサイトやフェイスブック、ツイッターで呼びかけられた。大規模デモは毎日続き、ムバラク大統領は妥協策を小出しにして対処しようとした。1月28日ムバラク大統領は内閣を総辞職させ、29日には、これまで設置してこなかった副大統領ポストを復活させ、オマル・スレイマン諜報長官を指名し、新首相には元空軍司令官のアフマド・シャフィクを任命した。しかし、抗議デモはさらに拡大し、全土で「100万人デモ」が行われた2月1日、ムバラク大統領は、国営テレビで演説し、11年秋に予定される次期大統領選挙に自分は出馬しない、憲法を改正して野党指導者や独立系の政治家が大統領選挙に立候補できるようにすると発表した。しかし、今退陣すると国内治安が悪化するとして、任期が終わるまで執務を継続するとした。抗議デモの参加者らは、大統領の即時退陣を要求してデモを続けた。こうした中、ムバラク大統領は、10日に国民向けの演説を行った。演説の前に、ムバラク大統領が辞任するとの憶測が流れていたこともあり、国民は大統領が辞任することを期待したが、ムバラク大統領は、さらなる権限を副大統領に移譲するとしたものの、9月の任期終了まで大統領職にとどまるとした。同演説は、国民の期待を完全に裏切ることになり、2月11日には、抗議デモがさらに拡大した。同日夜、スレイマン副大統領は、ムバラク大統領が辞任したこと、軍最高評議会が大統領権限を代行することを発表した。ムバラク大統領は、辞任後、シナイ半島の紅海にあるシャルム・エル・シェイクに移動した。軍最高評議会は、ムバラク大統領が約束した憲法改正など改革を進めること、イスラエルとの和平条約など国際的な合意を維持すると発表した。大統領辞任後、抗議デモは治まり、13日までにはほぼ正常に戻った。13日、軍最高評議会は、憲法を停止し、上下両院の解散を発表し、半年間もしくは次期大統領選挙と上下両院の選挙が行われるまで国政にあたると発表した。ムバラク前大統領は、シナイ半島のシャルム・エル・シェイクに隠遁した。11年8月からムバラク前大統領、息子2人、側近の政治家らの裁判が開始された。12年1月、検察はムバラク前大統領に死刑を求刑した。判決は12年6月に下される予定。