イエメンで33年間政権の座にあるサレハ大統領に対する民主化を求める抗議デモ。2011年3月中旬、チュニジア、エジプトに続きイエメンでも民主化要求のデモが拡大した。抗議デモは、デモ隊に対する狙撃が行われたことで、急速に拡大し、軍幹部の一部も抗議勢力に参加する事態となった。しかし、サレハ大統領は、自分の息子や親族などを軍や治安部隊に配置しており、個人独裁ではなく家族・親族独裁体制を構築していた。抗議勢力は、若者、部族、野党勢力、南北イエメン統一前の南部勢力などが混在し、内紛の構図がきわめて複雑化した。サウジアラビアなど湾岸産油国で構成される湾岸協力会議(GCC)が仲介に乗り出したが、サレハ大統領は不名誉な辞任を拒否する態度を変えず、仲介は難航した。11年6月にはサレハ大統領に対して爆弾による暗殺未遂事件が起き、負傷した大統領は、サウジで治療を受けたため大統領を辞任するとの期待もあったが、9月に帰国した。サレハ大統領は、11月23日、ようやくGCC調停案に署名し、副大統領に大統領の権限を移譲することとなった。12年1月、国会はサレハ大統領に対する訴追免除を決議し、サレハ大統領は同月22日にオマーンに出国し、28日にけがの治療のためアメリカに到着した。2月21日、GCC調停に沿って、大統領選挙が行われ、唯一の候補者だったハーディ副大統領が暫定大統領に就任した。2年間の移行期間内に新憲法が制定され、新国会と新大統領の選挙が行われる予定である。しかし、イエメンを統治できるのはサレハしかいないとの見方もあり、イエメン内紛は、先行きが不透明である。イエメンでは、「アラビア半島のアルカイダ」が活動している。アメリカは、「テロとの戦い」のため、イエメン政府との関係を維持する必要があり、微妙な対応をしている。