2011年5月2日、少数のアメリカ軍部隊が、アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンのパキスタンの隠れ家を急襲して殺害した事件。アメリカ側の発表と報道によれば、CIAがビンラディンの連絡員を追跡した結果、パキスタンの首都イスラマバードの北にあるアボタバードで不審な屋敷を見つけた。長期間の監視が行われ、ビンラディンが潜伏している可能性が高まったが、確証は得られなかった。そんななか、11年4月29日、オバマ大統領は、襲撃作戦を決断。アメリカ海軍のシールズ部隊が作戦に投入された。情報漏洩を警戒して、パキスタン側に作戦は通知されなかった。部隊はアフガニスタンの基地からヘリでパキスタンに侵入した。隠れ家上空で、ヘリ1機が墜落した。部隊は隠れ家を急襲し、ウサマ・ビンラディンと彼の息子など4人を殺害した。遺体はヘリでインド洋上のアメリカ海軍空母に移送され、その後水葬に付された。アメリカ側はDNA鑑定を行いビンラディンと確認したとしている。アメリカのメディアは、アメリカ東部時間の5月1日午後11時ころからビンラディン殺害の報道を開始していた。オバマ大統領は、5月2日に国民向けの演説を行いビンラディン殺害を発表した。アメリカは遺体の写真を発表していない。アメリカ国民はビンラディン殺害を喜んだが、中東では大きな反応は皆無だった。その後、アフガニスタンのタリバン、アルカイダがビンラディンの死亡を確認する声明を出した。墜落したヘリは、その後アメリカに返却された。パキスタンは、領内での無断作戦に不快感を表明したが、ビンラディンの存在を知らなかったこともあり、主権侵害については問題として取り上げなかった。2012年2月に、パキスタンは、隠れ家を解体した。