2011年3月にバーレーンで起きた国民の抗議行動。王制国家バーレーンは、湾岸諸国の中では珍しくシーア派が多数で、スンニ派が少数な国である。王家は、スンニ派。そのため王制に対する抗議行動は、シーア派とスンニ派の抗争と重なる。11年2月中旬、シーア派住民らが、人権問題などで政府に対する抗議行動を開始し、治安部隊との衝突になり死者が出る事態になった。エジプトなどの「アラブの春」と似た構図だが、バーレーンと近隣の産油国で構成される湾岸協力会議(GCC)は、シーア派とスンニ派の抗争と見なし、3月14日にサウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)などの治安部隊がGCC合同軍として進攻し、デモ隊を鎮圧した。GCC合同軍が、実際の作戦に投入されたのは初めてである。抗議行動は、力で鎮圧されいったんは収束したが、その後も散発的な抗議デモと衝突が継続している。GCC側は、イランが抗議行動の背後にいるとイランを非難している。抗議デモ勢力は、王制打破の姿勢を見せたことから王制を敷く産油国が警戒を強めた。また産油国の情勢が不安定化することに対する懸念もあり、バーレーンでの民主化運動鎮圧については、国際社会は傍観する姿勢を維持している。2月14日には、抗議行動1周年のデモがあり、不満がまだあることを証明した。