2013年7月にエジプト軍が、選挙で選出されたムルシ大統領を力で追放した事件。エジプトでは11年の政変の後、自由選挙が行われ、12年6月までに新議会と新大統領が選出された。しかし新政権が業務を開始すると次第に与党と大統領の政権運用能力の欠如が露呈し始めた。与党と大統領は、ムスリム同胞団関係者だけで決定し、野党の意見を取り込むなどの政治的柔軟性に欠けていた。経済政策では、専門家の登用や助言を求める能力も十分ではなく、国民の期待に反して経済状況は悪化した。不満を強めた国民は、13年はじめから大統領の退陣を求める署名やデモを開始した。しかし大統領と与党は、政権の実務能力の欠落に対する有権者の不満を理解できず、選挙で選出された正統性を主張して退陣を拒否した。13年6月頃には、両者の対立は激化し、反大統領と大統領支持派が衝突を繰り返すようになった。こうした混乱に対してエジプト国軍は、ムルシ大統領に対して48時間以内に事態を収拾するよう警告したが、大統領は対応しなかった。警告の期限が切れた7月4日夜、エジプト軍が動き、大統領を解任し、同時に民政移行の日程を発表した。国論は、軍の行動支持派と反対派に二分された。国際社会も、軍の行動をクーデターと非難する国とそうとは断定しない国に分かれた。大統領解任後、大統領支持派と軍・治安部隊の激しい衝突が続いた。政府は、ムスリム同胞団幹部らを逮捕しつつ、ムスリム同胞団に国民対話への参加を要請したが、同胞団は拒絶した。暫定政権は12月にムスリム同胞団を非合法化した。同月には新憲法草案が採決され14年1月14、15日に国民投票に付された。1月18日選挙管理委員会は、有権者(5342万3485人)の38.6%が投票し、賛成98.1%、反対1.9%だったと発表した。今後、新憲法にしたがい、暫定大統領が議会選挙と大統領選挙を実施する。