イギリスとフランス、ロシアによるオスマントルコ帝国解体に関する秘密協定。第一次世界大戦中の1916年5月に締結。ロシア帝国は革命で解体したが、イギリスとフランスは、秘密協定に沿って敗北したオスマン帝国の大部分を2カ国で分割統治した。イギリスは現在のイスラエル、パレスチナ、ヨルダン、イラクを、フランスはレバノンとシリアを委任統治した。第二次世界大戦でイギリスとフランスは国力を消耗した結果、東地中海地域での委任統治を終了。現在の東地中海地域の国は、第二次世界大戦終了までに独立したが、委任統治時代の国境線はその後も維持された。これらの諸国は、委任統治時代に画定された国境線に不満を持っているが、まだ修正されていない。イギリスとフランスが押しつけた国境線を変更する動きとして、90年のイラクによるクウェート侵攻がある。イラクは、イギリスにより領土が割譲されてクウェートが創設されたとして、もともとの領土を奪回しただけだと主張した。しかし、国際社会はイラクの主張を拒否。国連の安全保障理事会(安保理)は多国籍軍の派遣を決定し、クウェートをイラク軍から奪回した。2014年には、過激派組織の「イスラム国」(IS)が、サイクス・ピコ協定によって画定された国境は無効であると宣言したが、「イスラム国」の提唱する新たな国境線に対して支持を表明した国はない。