1856年にフランスから独立したチュニジアでは、独立の英雄とされるブルギバ初代大統領の下で世俗的な近代化政策が採られた。1987年にクーデターで政権を取ったベンアリも、近代化政策を継承し、イスラム勢力を厳しく制限。ヨーロッパとの貿易・投資を自由化し、観光を促進する親欧米路線を維持した。近年経済成長も順調に伸び、地中海地域の新興国として注目されていたが、言論・結社の自由の侵害が23年間にもおよぶなかで、ベンアリ独裁体制は、一族の膨大な不正蓄財と若年層の大量失業を生んできた。2010年末、失業青年の焼身自殺が引き金となり、変化とより公正な政治を求める若者が大規模な街頭デモを展開し、11年1月にはベンアリは国外に逃亡した。ネットによるデモが各地で組織され、新時代の政治と社会の変化の先駆的役割を果たした。「ジャスミン革命」とも呼ばれ、権威主義的政治に閉塞感を感じていたアラブ諸国の若者層に多大な影響を与え、1月末には「革命」の余波はエジプトにも波及した。暫定政権が軍の協力で発足し、12年10月には憲法制定のための議会選挙が実施され、イスラム政党アンナハダ(再生党)が第一党になり、同党主導の新暫定政権が発足。しかし、新憲法制定、ベンアリ一族の資産処分など、多くの課題が残されている中で、13年2月世俗派の野党リーダーが暗殺され、イスラム色を強める与党との対立が深まっている。