コートジボワールは1960年にフランスから独立した、サハラ以南アフリカ諸国中第3位の経済大国。一次産品ブームに伴い近隣諸国から大量の外国人が流入し、全人口の3割を外国人が占める。独立以来国父として君臨してきたウフエ=ボワニー大統領が93年に死亡したあと、後継者争いが激化した。95年、北部出身の有力対立候補ワタラ元首相を国籍条項によって排除して、南部出身のべディエ大統領が当選するが、99年のクーデターを経て2000年、ワタラを排除したまま、やはり南部の民主化運動の中心的リーダーであったバグボが、社会的騒乱のなかで大統領となった。以来、国民和解協議が行われていたが、02年9月、アビジャンなど3都市で軍の一部が一斉に蜂起、同国は反乱軍の支配する北部と大統領支持派の南部に分断された。03年1月、フランスの働きかけで和平協定が成立、3月には国民和解政府が発足した。しかし04年11月、北部奪回を試みた政府軍の空爆で、駐留フランス軍兵士9人が死亡、これに対してフランス軍も報復した。06年10月には新選挙法による大統領選が予定されていたが実現しなかった。07年3月、ブルキナファソの首都ワガドゥグで新たな和平合意が成立。4月には反政府勢力のリーダー、ソロを首相とする新政府が発足。反政府軍兵士の武装解除、社会復帰、選挙資格の認定などが開始された。10年10月から11月にかけて念願の大統領選挙が行われ、バグボとワタラの決選投票に対し独立選挙委員会がワタラ当選を発表したが、憲法院はバグボ当選を発表するに至り、08~09年のケニア大統領選での国内騒乱を想起させる政治社会危機が生じた。欧州連合(EU)と国連がワタラの正当性を支持し、11年4月立てこもっていたバグボはフランス軍の助けでワタラ派部隊に拘束され、5月にワタラの大統領宣誓式が公式に行われた。他方バグボは人道に対する罪で同年11月国際刑事裁判所によって逮捕され、身柄をオランダに移送された。