イスラム法に基づく国家形成を目指すソマリアの武装集団の連合が、2004年、隣国ケニアで欧米の影響力が強いソマリア暫定政府が樹立されたことに反発して06年初頭にイスラム法廷連合を形成し、首都モガディシオを始め南部および中部の一部まで支持勢力を拡大した。これに対して、同勢力の拡大を望まないエチオピアが、アメリカの支持を得て、首都モガディシオから離れた西部に進出した暫定政府を支援するために派兵し、06年末にモガディシオを制圧した。しかし暫定政府の基盤は弱く、エチオピア軍も治安回復に成功しないまま09年初頭に撤退。09年1月にジブチで行われたソマリア国会選挙で選ばれたアフメド新大統領はモガディシオの一部しか実効支配できず、イスラム原理主義の色彩の強い武装勢力が南部を支配している。ソマリアは、1991年本格的に内戦に突入。92年4月国連による停戦監視団を派遣するためUNOSOM(国連ソマリア活動)が設置された。翌93年3月には、国連安保理はガリ国連事務総長による報告書「平和への課題(An Agenda for Peace)」で提唱された平和執行型のPKO(平和維持活動)を具体化したUNOSOM2の派遣を決定。しかし、現地勢力との間で激しい戦闘が展開され、アメリカ兵も18人が死亡し、軍事力行使による平和執行という実験の失敗を認める結果となった。その後、急進的なイスラム武装集団アルシャバブによって欧米主導の暫定政権は恒常的脅威にさらされてきたが、12年9月には正式にハッサン・シェイク・モハムド新大統領を選出し、とりあえず20年以上にわたる内戦に終止符を打った。しかし、13年1月には平和維持活動中のアフリカ連合(AU)の部隊がアルシャバブに攻撃され、同年3月中旬には西部の都市を奪回されるなど、新政権の領域支配は不完全なままである。なお1991年に独立を宣言したソマリア北部(旧イギリス領)のソマリランド共和国は、国際社会では承認されていないが、政治的には安定している。